ジャパニーズ忍者。

アメリカで間違った忍者道場を開いて、それを日本の正統な忍者後継者が正す。そんな番組を見た。
アメリカ人の描く忍者像はド派手なのや、好戦的なもの。しかし実際の忍者はもっと地味で、防衛向きなものだそうだ。国柄というものがにじみ出ている。
ド派手にやるアメリカン忍者にこれが本当の忍者だ、とジャパニーズ忍者が見せつけるわけだが、それに対してアメリカ忍者はどう思うのだろうか。「これが忍者?冗談じゃない、かっこ悪い」とか思うのだろうか。
何が言いたいのかというと、要はこれも漫画に似てるなと思った、というと。
80年代から90年代のシュール系の漫画はもう過去のもの。今や萌えやキャラクターものばかり。別に否定ではないよ。面白いのは事実だし。僕も好きだし。でもその陰でシュールというジャンルが面白くないという形で肩身の狭い思いをしてしまっている。売れない漫画になってしまっている。それってどうなのだろうか。
嫌な言い方だけどシュール系のものってほんとリアリティを追求してて、それこそ本当の日常の漫画なんじゃないかなって思う。アンダーグラウンドだけどね。自分しか知らない、たいな。
今回見たこのアメリカン忍者とジャパニーズ忍者の関係って今の自分に方程式として当てはまってしまった感じがあった。

①アメリカという派手なものが好きな世界で、地味だけど本物の日本の忍者を見せる。
②偽物で溢れた世界に本物を見せても、なんかイマイだなって思われる。本物なのに。
①キャラクターものや萌え系、わかりやすいジャンルが好まれる世界に本当の日常漫画を見せる。
②わかりやすいジャンルで溢れた世界にそんな日常漫画を見せても、なんかイマイチだなって思われる。
そんな感じ。

まぁ、わかりやすいものが時代のニーズなんだろうけど。僕の漫画はもう20年くらい前のものだから。
でもジャパニーズ忍者はこう言っていた。「彼らは忍者が大好きだから、正しい忍者を学んで、彼らが伝えていってくれれば…」と。
ひょっとしたら自分がやっていることもこういうことなのかな。シュールってジャンルだって需要ゼロではない。好む人もいるし、特に漫画を描いている人から好まれている。こんな自分の連載時の作品のファンでいてくれている漫画家の先生もいる。
路線変更も考えたけど、おそらく僕はそういう人たちのために描かなければいけないんだろうなぁ。そういう漫画がわかる人に伝えていってもらえればいいかな。




まぁ、売れてる前提でのお話しなんですけどね…。とほほ…。
(あ、ここでシュールシュール言ってるけどあまり自分ではシュールを意識してないよ。なんかジャンルでいうと当てはまるらしいから例えてるだけ。)


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# by chadoarai | 2016-06-22 05:37 | マンガ | Comments(0)

漫画のせつめい。

先日、漫画の「説明」の話をした。
昔の漫画って説明なかったよね。そんなお話。
ドラゴンボールで悟空がどやって瞬間移動を覚えたのか。原作でそこは描かれていない。
昔の漫画って悪い奴は悪、いい奴は正義で単純明確だった。そう、なぜ悪い奴が悪なのかという説明がない。でもそれで成り立っていた。それは勢いというか、もう読者がそれでわかっていたことだからなのだろう
ここでいう昔の漫画とは、80年代くらいの漫画のこと。
80年代にシュール系ギャグという漫画ジャンルが誕生した。
世界観の説明は一切なし、読者はもう世界観をわかっていて当然という感の読ませ方。
世界観はわかる。でもそれってキャラクターの説明は乏しくなるのだと思う。
現代の漫画はやはりキャラクターが話の肝になってくる。キャラクターのない漫画は売れない漫画になってしまう。今の時代、シュール系の漫画が売れないというのはそういうことなのだろうな。
キャラクターが描けるってのはすごいなぁ。
僕は売れない漫画家だからキャラクターを描くことが非常に苦手だ。世界観や状況での面白さを優先してしまう。
キャラクター描けなきゃ売れないなぁ。


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# by chadoarai | 2016-06-07 06:41 | マンガ | Comments(0)

マンガと農業。

たまには少し漫画のことを考えてみる。
音楽と漫画の相似性はもう前から考えていた。それが自分の中で繰り広げられる『マンガVS音楽』になった。それとは別に思っていたことがある。
それが農業だった。
一昨年、友人のところでアスターの花の植え付けを手伝った。何もない土の広場を耕運機を使い、耕し、ネットを張り、ベッドを作り、アスターの苗を植えていく。まずそれをやるにあた、何もない土の広場を見た自分は「これはマンガと同じじゃないか」と思った。
何もない真っ白な紙にペンを使い、コマを割って、絵を描き、吹き出しを描いて。なるほど、無から有を生む作業としては共通しているんだ。まぁ、なんでもそうだけどね。そなことを思っていた。
そして去年の冬、また同じ友人のところで野菜の栽培を手伝っていて彼からJA農協の話を聞いた時に思った。
農協を通して世に野菜や花を出す場合、農協が決める規定に従わなければ出荷できないそうだ。もちろんその代わりに流通のルートは確保してくれる。無農薬なんてもってのほか、農協は農薬を売るのだから無農薬なんて農協が許すわけがない、らしい。それが嫌で独自の顧客ルートを確保する農家もいるそうだ(その代わり箱とかなんだのも自分で用意しなければいけないらしいけど)。他にもインター近辺にちょっと大きな直売所があり、そこに下ろす人もいるそうだ。でもそこの直売所は農家以外の誰でも、農業素人でも直売に出すことができるらしいから質がいいものかどうかはまた別の話になってくるらしい。なんでも100円で安いけど
そんな話を聞いて自分は「これはマンガと同じじゃないか」とまた思った。制作の相似性ではなく、流通の相似性で。
JA農協。これは世間でいいものを売るために規定を設けて花や野菜を売る。これはマンガで言うと編集者みたいなものだと思う。面白いマンガかどうか編集者が見て判断する。もちろ雑誌に載ればこっちは描くだけ。農協と同じで流通のルートは確保してくれる。花や野菜はキレイでなければ、美味しそうでなければ世に出せないし、マンガは面白くなきゃ打ち切られる。
好きなものを描きたいという人間はWEBで発表する。WEBは誰でもマンガを発表できる場。インター付近のちょっと大きな直売所と同じだ。花や野菜を直売所には置いてくれる。マンガをWEBページに載てはくれる。あとはお客が買うか、読むか。全く一緒だ。
とすると、残りの「独自で顧客ルートを確保」はマンガで言うと何になるのだろうか。
自分が思うにそれはフリーペーパーという形が一番近いのではないかと思う(コミケやコミティアはどちらかというと直売所寄りな感じがするし)。自分でマンガの冊子を作って様々なところに置てもらう。それが一番「独自でルート確保」に近い気がする。
農業界では農協を通さず独自ルートを確保するという形態に多々例があるのにマンガ界ではなぜあまり聞かないのだろうか。結局みんな書籍化が目標になるのだろうか。自分の中で、「書籍化<話題性」という構図を作ってしまえばできるのだろうか。
面白そうだからやってみようかな。
…まぁ、自分が知らないだけでもうすでにやってる人もいるのかもな。

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# by chadoarai | 2016-04-07 18:50 | マンガ | Comments(0)

生きていた。

やっとのことで原稿のデータも完成し、頼まれていたウェルカムボードのイラストのデータも完成したので、家から車を30分ほど走らせたところにある温泉の大湯へと行った。脱衣所と湯船のみのでつげ義春の世界に出てきそうな温泉で、よく行く温泉のひとつでもある。しばらく入っていると、70代くらいのおじいちゃんと40代くらいの男性の親子が入ってきた。
世間話を少し交わし、さてそろそろ上がるかと着替えている最中に吐き気のような感覚に襲われた。さほど長湯をしたつもりなかったのだが、どうものぼせてしまったらしく、着替えをしている最中に気を失ってしまった。「大丈夫ですか?大丈夫ですか?」というさっきの40代くらいの男性の声に目覚めた。何が起きたかわからなかった。どうも頭も強打していたらしい。殴られたような痛みを感じる。「大丈夫です。いぁ〜のぼせてしまったみたいで。」と必死で正気を装い、ありがとうございましたと礼を言い、大湯を後にした。
帰っても痛みは引かず、すぐに完成した作品のデータをメールで送り、布団に入った。正直怖くなっていた。頭を打ったのだ。もしこれで起きたら首より下が動かなくなっていたらどうしようか。昏睡状態にでもおちってしまったらどうしようか。とてつもない不安に襲われた。
もし漫画が描けなくなったら。もし絵が描けなくなったら。色々考えたが、もしそうなった場合、先ほど送った原稿とウェルカムボードが自身の“遺作”になるのだろうな、とふと思った。
あの原稿とウェルカムボードは“遺作”にふさわかったのか。手は抜いてなかったか。
去年の年末にHeeleesの水橋謙氏と「常に遺作を作る感じで作品を作る」という話をした。自身が急な事故でこの世を去った場合、その直前に作ったものが強制的に遺作になってしまう。だから常に作品作りには全身全霊を込めると言う話だ。それがまさに今起ころうとしている。
あの原稿とウェルカムボードはそういう話を聞いた直後でもあり、幸い納得のいくものにはなっていた。大丈夫だ。結果寝て起きたら、多少は痛みは引いていた。
とはいえ今回のことでその意識はより一層高まった気がする。
周りからすれば大袈裟なのだろうけど、今回死ぬのかもしれないと思った。五年ほど前にホタテで食中毒になった時以来だ。思えばあれも年明け直後だった。そうなった時、まだり残していることがたくさんあると思った。死にたくないと思った。生きてて良かったと思った。今回もそう思った。フリーーパーもまだ作ってない。連載もしていない。コミックも出してない。結婚もしていない。もう一件頼まれてたラストも打ち合わせすらしていない等々…。
とても大袈裟だが、今回も生き延びた。次になった時はすんなりと悔いの残らないよう、今のうちにやりたいことはやっておかなければ。次はいつ死に直面するかわからないわけだし。大袈裟だけどね。身近には自分以上にもっと死と隣り合わせで生活している人だっているのにね。
これは昨日の出来事。今朝の段階で大丈夫そうだと思い今日一日作業していたのだが、やはりぶつけたと思われるところに違和感がある。頭だしちょっと心配だから明日はちゃんと病院へ行ってみよう。人には過剰なほど心配するのに、自分の心配はそっちのけ。自己管理をもっとしなきゃ。
あ、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

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# by chadoarai | 2016-01-07 23:18 | 日常 | Comments(0)

テレビに出ている漫画家

テレビに出ている漫画家が嫌いだった。過去形だ。
テレビに出てはタレントのようなそぶりをして、漫画家だと名乗る。なんだそれは。漫画描いてないじゃないか。タレントじゃないか。彼ら彼女らにとって所詮漫画に対しての気持ちが半端なのだ。…と思っていた。まぁ、嫉妬も半分くらい。
要は漫画だけでは厳しいのだ。だからイラストレーター業もこしたり、キャラを装いテレビに出たり、漫画以外のことをする。
テレビに出るために漫画を描いているとかでない限り、それらの人は様々な漫画以外の職業を器用にこなしているのだ。そう、漫画も描くがタレント業もこなしているのだ。それは二足どころではない数のわらじを履という、むしろ凄いことだ。
サブカル系の漫画を描く人間なんて特にそうなのではないだろうか。自身の好きなサブカル系漫画家はコミックを3巻まで出して、現在バイトもしているという。自身もそうだ。漫画も描く。カメラマンもやる。芍薬農家もやる。プールの監視委員だってやる。れらはどれもちゃんと仕事として、やるからにはちゃんとやっているし、これからも続けていくつもりだ。
結局テレビに出ている漫画家というのもそうなのだろう。

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# by chadoarai | 2015-10-02 19:34 | マンガ | Comments(0)

漫画家、荒井瑞貴の瑞貴(原作)の方の日々の雑記。 araimizuki25@gmail.com
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