一年。

東京での打ち合わせ。長野在住だから出向いて打ち合わせはしなければいけないわけで。

打ち合わせは毎回バス。安いし。自腹だし。人気出れば交通費出るのかな?まぁ、このペースも嫌いじゃないからいいんだけどね。

担当編集者K氏とその場のノリで都庁の喫茶で打ち合わせをした。まぁ、ふつうは打ち合わせするよな場所じゃないけど、それも面白いからいいんだけどね。都庁ラーメンって、都庁って書いた海苔がのってるラーメンなんだね。都庁ラーメンというより都庁海苔入りラーメンだった。

打ち合わせも終わり、漫画家が多く住むと言われる吉祥寺、の隣の西荻窪へ行った。好きな漫画の舞台でもあったし。買ったカメラも試したかったし。

だか長野の権堂近辺に似ていた。でもやっぱり長野がいいなぁ。悠々自適になれるし。

新しい企画とか漠然と考えながらブラブラ。何も思いつかない。

思えば今モーニングで不定期掲載している「girl's-talk」も、もう一年経った。早いなぁ。ほんと早いなぁ。

何やかんやでの一年で14話まで掲載させていただいた(あ、今週のにも載ってますよ)。

皆様のおかげ。友人のおかげ。仲間のおかげ。家族のおかげ。あと基本代理原稿なんで休載した作家さんのおかげ。ありがとうございます。




a0331878_09470373.jpg


a0331878_09470244.jpg


a0331878_09470162.jpg


a0331878_09470070.jpg


a0331878_09465984.jpg



a0331878_09465881.jpg


a0331878_09465711.jpg



a0331878_09465693.jpg


a0331878_09465576.jpg



[PR]
by chadoarai | 2016-08-04 10:02 | マンガ | Comments(0)

実験

まぁ、そろそろマンガのこと考えなきゃヤバいわけで。いや、別にヤバくはないのかな。
今取り掛かっているものを完成させなきゃヤバいわけで。いや、別にヤバくはないのかな。
別に載る載らないとかじゃなくて、これは今の自分にしか描けないものであり、初めて描きたいと思ったものだから。
デビュー連載作品「さっちゃんと変な町」も今現在不定期掲載中の「girl's-talk」も正直自分でもよく分からない。「さっちゃんと変な町」にいたっては、最終回はもう最悪。あんな終わり方は描きたくなかった。あれは不完結な作品だと今でも思う。かわいそうなことをしたと思う。まぁ、しょうがないんだけどね。売れなきゃものにならないし。世間からしたら面白くないんだし。
僕は読み切りを一切描かずに連載が始まった。それは人によってはラッキーなことなのかもしれない。
でもその反面、実験というものができなかった。だから今でも自分がどういう作品が描けるのかわからない(girl's-talkでは割と実験しているけどね)。まだまだ模索中。
まぁ、正直今取り掛かっているそれだって自分のものかわからない。これでいいのかわからない。
でも、今の自分にしか描けないものだとは思っている。去年の自分や連載していた時の自分には絶対に描けないものなのだと思う。
これからの人生もっとそんな作品に出会えていければ、この楽しいけど満たされない人生が素直に楽しいと思えてくるんだろうなぁ。
さて、一眼用のマイクが今日家に届いているはずだから帰ったら早速テストしてみよ。


a0331878_21405413.jpg


[PR]
by chadoarai | 2016-07-12 23:14 | マンガ | Comments(0)

ジャパニーズ忍者。

アメリカで間違った忍者道場を開いて、それを日本の正統な忍者後継者が正す。そんな番組を見た。
アメリカ人の描く忍者像はド派手なのや、好戦的なもの。しかし実際の忍者はもっと地味で、防衛向きなものだそうだ。国柄というものがにじみ出ている。
ド派手にやるアメリカン忍者にこれが本当の忍者だ、とジャパニーズ忍者が見せつけるわけだが、それに対してアメリカ忍者はどう思うのだろうか。「これが忍者?冗談じゃない、かっこ悪い」とか思うのだろうか。
何が言いたいのかというと、要はこれも漫画に似てるなと思った、というと。
80年代から90年代のシュール系の漫画はもう過去のもの。今や萌えやキャラクターものばかり。別に否定ではないよ。面白いのは事実だし。僕も好きだし。でもその陰でシュールというジャンルが面白くないという形で肩身の狭い思いをしてしまっている。売れない漫画になってしまっている。それってどうなのだろうか。
嫌な言い方だけどシュール系のものってほんとリアリティを追求してて、それこそ本当の日常の漫画なんじゃないかなって思う。アンダーグラウンドだけどね。自分しか知らない、たいな。
今回見たこのアメリカン忍者とジャパニーズ忍者の関係って今の自分に方程式として当てはまってしまった感じがあった。

①アメリカという派手なものが好きな世界で、地味だけど本物の日本の忍者を見せる。
②偽物で溢れた世界に本物を見せても、なんかイマイだなって思われる。本物なのに。
①キャラクターものや萌え系、わかりやすいジャンルが好まれる世界に本当の日常漫画を見せる。
②わかりやすいジャンルで溢れた世界にそんな日常漫画を見せても、なんかイマイチだなって思われる。
そんな感じ。

まぁ、わかりやすいものが時代のニーズなんだろうけど。僕の漫画はもう20年くらい前のものだから。
でもジャパニーズ忍者はこう言っていた。「彼らは忍者が大好きだから、正しい忍者を学んで、彼らが伝えていってくれれば…」と。
ひょっとしたら自分がやっていることもこういうことなのかな。シュールってジャンルだって需要ゼロではない。好む人もいるし、特に漫画を描いている人から好まれている。こんな自分の連載時の作品のファンでいてくれている漫画家の先生もいる。
路線変更も考えたけど、おそらく僕はそういう人たちのために描かなければいけないんだろうなぁ。そういう漫画がわかる人に伝えていってもらえればいいかな。




まぁ、売れてる前提でのお話しなんですけどね…。とほほ…。
(あ、ここでシュールシュール言ってるけどあまり自分ではシュールを意識してないよ。なんかジャンルでいうと当てはまるらしいから例えてるだけ。)


a0331878_23063011.jpg

[PR]
by chadoarai | 2016-06-22 05:37 | マンガ | Comments(0)

漫画のせつめい。

先日、漫画の「説明」の話をした。
昔の漫画って説明なかったよね。そんなお話。
ドラゴンボールで悟空がどやって瞬間移動を覚えたのか。原作でそこは描かれていない。
昔の漫画って悪い奴は悪、いい奴は正義で単純明確だった。そう、なぜ悪い奴が悪なのかという説明がない。でもそれで成り立っていた。それは勢いというか、もう読者がそれでわかっていたことだからなのだろう
ここでいう昔の漫画とは、80年代くらいの漫画のこと。
80年代にシュール系ギャグという漫画ジャンルが誕生した。
世界観の説明は一切なし、読者はもう世界観をわかっていて当然という感の読ませ方。
世界観はわかる。でもそれってキャラクターの説明は乏しくなるのだと思う。
現代の漫画はやはりキャラクターが話の肝になってくる。キャラクターのない漫画は売れない漫画になってしまう。今の時代、シュール系の漫画が売れないというのはそういうことなのだろうな。
キャラクターが描けるってのはすごいなぁ。
僕は売れない漫画家だからキャラクターを描くことが非常に苦手だ。世界観や状況での面白さを優先してしまう。
キャラクター描けなきゃ売れないなぁ。


a0331878_18462257.jpg



[PR]
by chadoarai | 2016-06-07 06:41 | マンガ | Comments(0)

マンガと農業。

たまには少し漫画のことを考えてみる。
音楽と漫画の相似性はもう前から考えていた。それが自分の中で繰り広げられる『マンガVS音楽』になった。それとは別に思っていたことがある。
それが農業だった。
一昨年、友人のところでアスターの花の植え付けを手伝った。何もない土の広場を耕運機を使い、耕し、ネットを張り、ベッドを作り、アスターの苗を植えていく。まずそれをやるにあた、何もない土の広場を見た自分は「これはマンガと同じじゃないか」と思った。
何もない真っ白な紙にペンを使い、コマを割って、絵を描き、吹き出しを描いて。なるほど、無から有を生む作業としては共通しているんだ。まぁ、なんでもそうだけどね。そなことを思っていた。
そして去年の冬、また同じ友人のところで野菜の栽培を手伝っていて彼からJA農協の話を聞いた時に思った。
農協を通して世に野菜や花を出す場合、農協が決める規定に従わなければ出荷できないそうだ。もちろんその代わりに流通のルートは確保してくれる。無農薬なんてもってのほか、農協は農薬を売るのだから無農薬なんて農協が許すわけがない、らしい。それが嫌で独自の顧客ルートを確保する農家もいるそうだ(その代わり箱とかなんだのも自分で用意しなければいけないらしいけど)。他にもインター近辺にちょっと大きな直売所があり、そこに下ろす人もいるそうだ。でもそこの直売所は農家以外の誰でも、農業素人でも直売に出すことができるらしいから質がいいものかどうかはまた別の話になってくるらしい。なんでも100円で安いけど
そんな話を聞いて自分は「これはマンガと同じじゃないか」とまた思った。制作の相似性ではなく、流通の相似性で。
JA農協。これは世間でいいものを売るために規定を設けて花や野菜を売る。これはマンガで言うと編集者みたいなものだと思う。面白いマンガかどうか編集者が見て判断する。もちろ雑誌に載ればこっちは描くだけ。農協と同じで流通のルートは確保してくれる。花や野菜はキレイでなければ、美味しそうでなければ世に出せないし、マンガは面白くなきゃ打ち切られる。
好きなものを描きたいという人間はWEBで発表する。WEBは誰でもマンガを発表できる場。インター付近のちょっと大きな直売所と同じだ。花や野菜を直売所には置いてくれる。マンガをWEBページに載てはくれる。あとはお客が買うか、読むか。全く一緒だ。
とすると、残りの「独自で顧客ルートを確保」はマンガで言うと何になるのだろうか。
自分が思うにそれはフリーペーパーという形が一番近いのではないかと思う(コミケやコミティアはどちらかというと直売所寄りな感じがするし)。自分でマンガの冊子を作って様々なところに置てもらう。それが一番「独自でルート確保」に近い気がする。
農業界では農協を通さず独自ルートを確保するという形態に多々例があるのにマンガ界ではなぜあまり聞かないのだろうか。結局みんな書籍化が目標になるのだろうか。自分の中で、「書籍化<話題性」という構図を作ってしまえばできるのだろうか。
面白そうだからやってみようかな。
…まぁ、自分が知らないだけでもうすでにやってる人もいるのかもな。

a0331878_18290605.jpg

[PR]
by chadoarai | 2016-04-07 18:50 | マンガ | Comments(0)

テレビに出ている漫画家

テレビに出ている漫画家が嫌いだった。過去形だ。
テレビに出てはタレントのようなそぶりをして、漫画家だと名乗る。なんだそれは。漫画描いてないじゃないか。タレントじゃないか。彼ら彼女らにとって所詮漫画に対しての気持ちが半端なのだ。…と思っていた。まぁ、嫉妬も半分くらい。
要は漫画だけでは厳しいのだ。だからイラストレーター業もこしたり、キャラを装いテレビに出たり、漫画以外のことをする。
テレビに出るために漫画を描いているとかでない限り、それらの人は様々な漫画以外の職業を器用にこなしているのだ。そう、漫画も描くがタレント業もこなしているのだ。それは二足どころではない数のわらじを履という、むしろ凄いことだ。
サブカル系の漫画を描く人間なんて特にそうなのではないだろうか。自身の好きなサブカル系漫画家はコミックを3巻まで出して、現在バイトもしているという。自身もそうだ。漫画も描く。カメラマンもやる。芍薬農家もやる。プールの監視委員だってやる。れらはどれもちゃんと仕事として、やるからにはちゃんとやっているし、これからも続けていくつもりだ。
結局テレビに出ている漫画家というのもそうなのだろう。

a0331878_19313181.jpg

[PR]
by chadoarai | 2015-10-02 19:34 | マンガ | Comments(0)

シュールですね。

シュールですねとか言われるけど、いいちピンとこない。
日常で、もしこんなことがあったらこうするだろう、っていうのがシュールってことなのな。
それってシュルレアリスムっていうより、ただのレアリスムだよね。
何にせよ荒イズムの原点はリアリズムんだよ。

a0331878_22045066.jpg

[PR]
by chadoarai | 2015-08-25 22:03 | マンガ | Comments(0)

‥・

なら君のため、漫画を描


a0331878_13534032.jpg

[PR]
by chadoarai | 2015-03-24 13:53 | マンガ | Comments(0)

表現。

「漫画が描いたなら“描きたいもの”があるでしょ」という話をした。で、考えた。
自分がしたい表現といものは“ワンシーン”なんだな。表現方法がマンガであり映像であり写真であり“ワンシーン”というものが表現したいんだ。長編のマンガに対して描く気が沸かないというのは“ストーリー”が描きたいのではなく、あくまでも“ワンシーン”を描きたいからなのかもしれないな。表現方法がたまたまマンガだった、それだけかもしれない。
何気なく田んぼ道を車で走るだけで幸せな気持ちを感じた。そんな“ワンシーンを描きたい、撮りたい。きっとそれが自身の表現したい形だったのだろな。それが見つかったんだ。
ここ最近はずっと何が描きたいのか考えていた。まずそとを考える時点でマンガが好きではないのではないか、とずっと思っていた。それでも描きたい気持ちはあるという矛盾があった。
好きでやっている人種はそんなことでは悩まないだろうな。好きでやっているのだから。編集者に言われたり、こうすれば売れると考えたりで、簡単に路線や作風を変更してしまう自分に描きたいものなどあるのだろうか。「漫画家になること」よりも「どんな漫画を描くか」が大事というのはこういうとなんだろうな。そんな自分のマンガには商品価値というものはやはり存在しない。まぁ、それでも描くのが本当に好きでやっている人種なのだろうな。
webに載せたり、発表の場は多々あるんだ。それをどこか軽視していたけど、明らかにそういった人たちのほうが勝っているんだよね。だって自分は考えたり、つべこべ理由をつけて全く描こうといしてないんだから。
技術がある人間にはアイディアで勝負しよう。考えてばかりいないでやろ。飛び道具でも卑怯でも面白けりゃいいや。何も表現したくなければやめよ。比較せず、気取らず、あくまでも“ワンシーン”を表現していこ〜っと。
あと印象は大事にしていこ〜っと。

a0331878_21593984.jpg

[PR]
by chadoarai | 2015-03-13 22:59 | マンガ | Comments(0)

価値

なるほど。自分の描く物は俗にいガロ系というものに分類されるらしい。いわゆるシュール系、不条理系というものだろう。
それらのジャンルは昨今低迷期にあるらしい。吉田戦車氏の「伝染るんです。」がブレイクしていた80年〜90年代。自身の描くそれはその時代のもの、すなわちもう遅いものなのだ。
時代はほとどのマンガが女性ターゲットのものになってしまっているらしい、という話を聞いた。
もう自分から生み出されるものは読まれないのかもしれないし、それしか描けない自分はもうこの業界にはいられないのかもしれない。
評価はされるが商品としては価値がないのだ。本当に連載していたのかさえ疑問になる。もう誰も覚えていないのだろうけど。
もう何も生み出せないというとを考えると夜。

わーい飲もう飲もう

a0331878_16081155.jpg

[PR]
by chadoarai | 2015-02-17 16:10 | マンガ | Comments(0)

漫画家、荒井瑞貴の瑞貴(原作)の方の日々の雑記。 araimizuki25@gmail.com
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30